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グレートジャーニー・「ぐるりのこと」・あれこれ考える

 昨日の夜、大好きな関野吉晴さんのグレートジャーニーを放送していた。関野さんは私の理想の男性だ。どんな過酷な旅にも決して屈せず、どんな土地の人にも昔からの友人のようによりそうように静かに溶け込んでいる。どんな人も拒まない、包み込むように優しくて、それでいて個の強さを感じるまっすぐな曇りのない笑顔。いつ見ても素敵な人だな、と思う。昨日の旅路の中で、左足の指先が奇形して肥大化して、痛くて夜も眠れないという少女と出会った。先天的な奇形であれば外科手術をすれば治るが、後天的なものであれば悪性の骨肉腫である可能性が高い。医者である関野さんの診察を受ける彼女の硬直した悲しい目と表情が印象的だった。結局関野さんは彼女が気がかりで、地元の専門医に彼女の状態を診てもらえるように手を尽くし、結果、彼女の腫瘍が先天的な良性のものであることが判明し、彼女は手厚い看護のもと無事に手術を受けることができた。専門医が彼女の腫瘍が良性であると判断を下した時の関係者全員の晴れ渡るような安堵の笑顔、手術を終えて退院する時の少女の別人のように柔らかな笑顔もまた、至極印象的だった。国境や民族、言語や文化を越えた感情と表情。
 
 
 最近読んだ梨木香歩さんのエッセイ「ぐるりのこと」。民族間の紛争や対立をめぐる思い、加速度をつけて二極化が進む世界のことが書いてある。深く共感する箇所がたくさんある本だったけど、特に印象的だった部分。昨日のグレートジャーニーを見ながらもう一度読んでしまった部分。

「たいていの場合、個人や集団の中で混沌としていたものが、その対立関係がその境界が、にわかにクリアーに突出してきたような気がする。さあ、おまえはどっちなのだ、と日本は迫られ、個人も迫られ、そのたびに重ねていく選択が、知らず知らず世の中の加速度を増してしまう。いいとか、悪いとか、そういう二分法ではないところで、私たちはうかうかとこの世界の加速度を増してゆく何かに荷担していってしまう。(中略)ただ、わかっていることは、クリアーな境界に、ミソサザイの隠れる場所はないということだ。蛇の隠れる場所もないかわりに。・・・」

「(ドミノ倒しのストッパーを例に)・・・その間隔内で悲劇が起こっても、他の部位に伝染させないためだ。ダイレクトに加速を伝えない、絶縁体のような役割をする。理解の難しい異言語の存在を、私たちはもっと敬虔かつポジティヴに受け止めてもいいのかもしれない。」

「かつてないほどグローバルなこの時代に生み出された、知れば知るほど違いが浮き彫りになり、嫌悪感が増す、という、どうしもようもなく生理的にアンヴィヴァレンツを基軸とした、人種憎悪の巨大な負のエネルギーは増大するばかりではなかったか。民間のレベルで言えば(中略)親和的に共感を育む、ということには必ずしも言語を必要としないのではないか。」

(以上、梨木香歩著「ぐるりのこと」新潮社刊・より)

言葉って難しい。使わなければ伝わらない。けれど、言葉を尽くして話し合っても、努力しても、お互いの違いがより明白になるだけで、かえってお互いの距離が離れてしまうことも、ある。

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コメント

私が遊んで呆けている間、ぽんさんは考えていたんだね(笑)
言葉・言語が理解を生むときも、亀裂を生むときも、不要のときもあるんだよね。
言葉だらけの難解なお芝居を見に行って、理解しようともせず頭も痛くなりませんでした。ダセー

投稿: Chicago Guy | 2008年3月23日 (日) 02時17分

Chicago Guyさん
ぽんすけもすっからかんのアタマをひねって考える時がある(笑)。
お芝居観に行ったのね。
ドラマや映画と表現が違ってなまなましいから、見ていて照れくさくなるよね。

投稿: ぽんすけ | 2008年3月23日 (日) 12時17分

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